以前の結論
こんにちは、ILab_01です。
以前私は、「やりたいことが『やりたいこと探し』だった件」というタイトルで下記の記事を書きました。
要約すると、私は自分の内面に興味がある人間で、やりたいこと探しっていつ終わるんだろう…的なことが書かれています。
時間のある方は以下をお読みください。
私は一時期、「自分のやりたいことって何だろう?」と悩んでいた時期があり…、というか今でも悩んではいるのですが、やりたいこと探しをした結果、意外な結末にたどり着きました。
それは…
自分のやりたいことは「やりたいこと探し」だった、という結末です。
自分探しをしても一向に本当の自分というものが見つかりませんでした。
どの本にも「普段思わずやってしまうこと、思わず継続してしまうことがあなたの才能です」というようなことが書いてあるのですが、思わずやってしまうものなんてない、継続なんてしていないと思っていました。
が、ありました、継続していることが。
そうです、思わずやってしまう、継続していることは「自分探し」や「やりたいこと探し」だったのです。
つまり、「自分が何者か?」に興味があるということです。
しかし、この疑問を深堀りしていくと、
「自分とは何か?それは『自分とは何か?』を問う人間である」
ということが言えてしまい、無限ループに入ってしまいます。
この無限ループをプログラミングの世界で例えるならば再帰関数でしょうか。
実装するとこんな感じになるはずです。
def jibunsagashi(self):
jibunsagashi(self)
# ここには来ないはず
return
このプログラムの問題点は、永遠に自分を呼び続けるので、終了処理であるreturnにたどり着けないという点です。
しかし、人間は幸いなことに、コンピュータとは異なり、「飽き」というもう一つの終了条件を持っています。
私も昔に比べれば自分探しに飽きてきた気がします。
そのうち止まると期待して、今後も自分探しをしていこうと思います。
追記 (2024年11月8日): 本当のやりたいことが少しずつ見えてきた
追記している現在も、まだ「自分は何がしたいのか」に悩んでいます。もう半年以上悩んでいるわけです。
しかし、それでも、前よりはぼんやりと「これやってみようかな」が出てきたように思います。
そこにたどり着いた理由を列挙してみるとこんな感じです。
- 本当はやりたいことはあったが、スキル不足が理由で無意識のうちに無かったことにしていた。
- 仕事でひょんなことから、そのスキルを身につける必要が出てきたため勉強をした結果、スキルが少し身についた頃に「やってみようかな」という気持ちが湧いてきた。
- 考えているだけでは変化がないと思ったので、とにかく行動してみた。
- どのような行動を取るのかというと、欲しかったけど我慢していたものを買ってみたり、最近出てきた物珍しいものを買ってみたり、睡眠の質を改善してみたり、散歩に出てみたり、と「新しい何かに触れること」と「健康を保つこと」を意識してみました。
- 結果として、体力がついて頭で考えられる時間が増え、さらに新しい情報も入って来たため、「こんなことしたら面白いかな」というアイデアが出てくるようになりました。
もちろん、大半はただの思いつきで役に立つアイデアではありませんが、アイデアが「出てくる」ということが重要だと感じました。
今回の追記はここまでです。また進展があったら追記していきます。
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