「弘法筆を選ばす」の実際は「弘法筆に選ばれる」かも

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はじめに

こんにちは、ILab-01です。

何かの達人は道具の良し悪しを気にせず、逆に下手な者は道具を選ぶ、ということってありますよね。

このことを表すことわざに「弘法筆を選ばす」というものがあります。

今回は、「弘法筆を選ばす」が本当かどうかを自分の経験を振り返って考えてみます。

「弘法は筆を選ばす」とは

このことわざの詳しい解説は、他サイト (https://biz.trans-suite.jp/49131) に掲載されているのですが、要約するとこんなことが書かれています。

  • 「弘法筆を選ばず」の意味
    • 名人や達人は道具や材料の良し悪しを問題とせず、どんな道具でも使いこなす
    • 技術の乏しい者はできないことを道具のせいにする
  • 類義語: 善書は紙筆を選ばす
  • 対義語: 下手の道具調べ = 腕の悪い職人ほど道具を選びたがる

また、上記のサイトでは「弘法筆を選ばず」の出典にも解説があり、こんなことが書かれています。

「名人は道具を大切にメンテナンスし、良い道具を使用する」と言っていますので、弘法大師本人は「弘法筆を選ばず」とは逆の考えだったことがわかります。

引用元 https://biz.trans-suite.jp/49131

つまり、弘法が筆を選んでいた説と選んでいなかった説があるというわけです。

私の経験

私の経験からも、「達人はよい道具を使う」と「達人は道具を選ばない」の両方が言えると感じています。

プログラマーである私の場合を例にして考えます。

プログラマーはプログラミングをするときに、普通のテキストエディタ (メモ帳や何とかパッドど呼ばれる簡素なもの) は使いません。
普通は、Emacs や Vim、最近ではVSCode等の高性能エディタを使います。
その理由は、普通のテキストエディタよりも多機能で開発効率が大きく改善されるからです。
以上の意味では、道具を選んでいることになります。

一方、「メモ帳でプログラムを書け!」と言われた場合でも、職業プログラマーは開発を進めることができます。
つまり、道具を選ばないこともできます。

ここまでが、プログラマーにおける「達人はよい道具を使う」と「達人は道具を選ばない」の例です。

今度は私がデザインの分野に関わることを考えてみます。
この場合、高性能な道具はあまり役に立ちません。

例えば、私がAdobe illustratorを使ったとしても下手な絵しか描けません。
そもそも、ソフトの機能が多すぎて何から手を付けてよいかも分かりません。
illustratorを使うよりもパワポを使った方が上手な絵が描ける気がします。

一方、職業デザイナーは「パワポで何か絵を書け!」と言われた場合でも、おそらくある程度のレベルの絵を描くことができるはずです。

そんなわけで、「達人はよい道具を使う」と「達人は道具を選ばない」の両方が言えると感じています。

もう少し深堀りして考えてみる

前述のままでは、「結局どっち?」となってしまいますが、私の考えでは、「弘法筆を選ばず」は実際には

弘法筆に選ばれる

だと思います。

私は必要な道具は向こうからやって来るものだと思っています。
その理由は、あるものの達人になろうとすると、その分野の常識が入ってくるようになるからです。

例えば、プログラマーになろうとすると、

  • どの環境でも使えるエディタはEmacsかVimだ。使えるように練習せよ。
  • 開発環境を手軽に作りたいならVirtual BoxかDockerを使え。
  • コードはGitで管理せよ。

などという情報が入ってきます。これらの情報は他分野の人にはあまり入ってきません。
また、EmacsやVimのような、他分野の人から見たらどう考えても使いにくい道具を、あえて使いこなせるように練習する機会は他分野の人にはありません。
つまり、プログラマーになると相応の道具が向こうからやって来るようになります。

逆に、プログラマーはデザイン分野の道具を知りません。
前述の例ではAdobe illustratorを取り上げましたが、他にも色々な道具があるはずです。
この時点で私は道具から選ばれていないわけです。

インターネットが発達した現在は、特定の分野に携わらなくてもその分野の情報を調べることができます。
そのため、時には身の丈に合わない道具の存在を知ることもあります。
しかし、知ったところで高性能すぎる道具は素人には使いこなせません。
例えば、私がプロの作曲家が使っている作曲ソフトを手に入れたところで、使いこなせる機能はソフト全体の数パーセントに留まると思います。
この意味でも、身の丈に合わない道具は自分を選ばない、ということになります。
逆に、他分野の高性能な道具を使いこなせるのであれば、その分野に適性があるということになります。

以上のことから、私は身の丈に合った道具を使うことが大切だと考えていると同時に、意識しなくても道具が自分を選んでいると考えています。
その言葉を改めてことわざ風に書くとすれば、

弘法筆に選ばれる

となります。

おわり。

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